感想『ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbow』

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お久しぶりと挨拶するほどの相手もいないほどのブログではございますが、お久しぶりでございます。

とんと更新もさぼっておりましたが、感想が聞きたいとの奇特なコメントを発見し、キーボードに向かっているところにございます。

で、サンシャインの劇場版は少し前に拝見しておりました。
秋葉原あたりで用事があったので帰りにでも見ようかと、ついでなテンション。それぐらいの訴求力。

でまあ、近くの映画館で、かつ行ったことのない錦糸町に行こうと足を伸ばす。

錦糸町駅自体はじめての来訪となりましたが、どんよりした飲み屋街と新造ショッピングモールが絶妙に混ざり合わずに点在する不思議な町並み。

そして映画館は徒歩で行くには少々遠い、シムシティで配置をミスったような場所にあります。

とまあ、無駄な日記的前置きはさておき、映画の感想としては、ふつー、フトゥー

期待を上回ることは決してなく、たかを括ったあたりを下回ることも決してない。普通ど真ん中。

前作で脳を揺さぶってきたナイトメア描写もなく、かといって、純粋に優れた部分も少なく、それほど目くじら立てるほどの粗も少ないように感じました。

ただ残念だったのは、TVシリーズのクライマックスを超えるほどの感動はなかったところ。

それは大きく分けて、3点の問題があると思います。

・テーマを絞れていない

・映画として映像で語ろうとしない

・結論から逃げている

第一に、テーマが絞れていない点。

TVシリーズの函館回の焼き増しであることはあきらかですが、それは大した問題ではなく、そこに焦点を絞れていないことがまとまりの無さの原因のように見えます。

イタリアに行く意味が皆無だし、セイントスノーとの絡みが断続的で一体となって解決に向かうような感覚がない。

マリの母親が登場して、葛藤としてドラマをもり立てるかと思いきや、本題とは関連がなく中盤であっさりと解決してしまう。ただただクライマックス要素を分散させているだけ。

第二に、映画にする気はさほどない。

とにかくセリフが多い。もちろん女の子同士のセリフのやり取りが楽しいのも大きな要素ではある。しかし、個々の心情や、情緒までもセリフで説明するので感動が削がれてしまう。

わかりやすいシーンが、Aquarsが三年生抜きでのパフォーマンスをセイントスノー二人に見てもらうシーン。何かがかけたような完成度で、どうやって補っていいかわからない。リアは「そんなの自分たちで見つけるしかない」と声を荒げる。観客の誰しもが、リアは自分の状況と重なって感極まっていしまったのだろうと胸を打たれるシーンだ。しかし、その直後にAquarsのメンバーがそれを察して説明するシーンが加わる。非常に無粋。

一番のテーマである。三年生がいなくなって以降をどう乗り越えるか、その答えについても様にならない。「いなくなったわけじゃない。心の中にずっといる」その解決へのメッセージ自体は非常に感動的で、喪失への向き合い方として普遍的な意味を持つ素晴らしいものだ。しかし、それと同じような言い回しで賞味三回ほど説明を繰り返す場面があるのでこれまた興をそがれる。映画では、ちょっとした仕草にその言葉を宿らせることなどたやすいはずなのに、TVアニメと同じノリで作られていることがよく分かる。

第三に、大きなネタバレとなる、結論への覚悟。

テーマが絞れていないのと重なる部分ではあるが、ここが一番大きく台無しな点だと思っている。

いよいよ最後は三年生のいない6人だけのAquarsでのライブが始まる。

いつものように、「いち」「にー」「さん」と数えていって、「ろく」でとまる。するとイメージカットが挟まり。「なな」「はち」「きゅう」この場所にいなくてもいつも三人がそばに居てくれると思わせる非常に感動的な場面だ。(そのあとチカが「聞こえた?」といって興をそがれる。聞こえてるから言うんじゃねってば)

そしてライブ。

まあ予想していた。わかってはいいたが、結局三年生登場で9人でのパフォーマンスになってしまう。そこは素直に見守って上げましょうよ。高校初日にお母さんがついてきちゃうようなもんだよ。

もちろん商業的な意味もわかってます。三年生のファン(現実世界でのファン)を裏切りたくないのもわかりますよ。抽象的な演出を混ぜ込んで、イメージとして表現しているのもわかります。でもこの場面のせいでドラマ上の意義を失いすぎです。

三年生を登場させるにしても、決して向かい合わないようにするとか、エンドロールが流れてからにして本編と切り離すとか、もっと細心の注意を払ってほしかった。

劇場版前作のようなトンデモ感がなく見やすくはあるものの、どうにも満足感も得られぬと言うのが正直なところ。

問題の設定や、ゲストキャラがただの便利さんだったり、どうにもテキトーな部分も多いためあまり好きではない。かな。

一番感動的だったのは、最序盤のミュージカルシーンで街のみんなが応援していたのが伝わってくる、応援してくれる人込みでのアイドルという存在を体現していたいい場面だった。

ただ、〆の部分で踊っているのは、統一された衣装で統御された動きをする有象無象というあたり、やはり真剣に考え抜かれている感じもしない。

TVシリーズすべてを通してなんだか詰めの部分で趣味が合わない。

にしても沼津のPTAは理不尽すぎだろ、こんなの阿部祐二が出向いてレポートしてもおかしくないくらいの事件じゃないか。

相も変わらず、ラブライブ優勝しても保護者間では見向きもされないって、「もしもこの世界にラブライブがあったら」を真剣に考える気がさらさないのがやっぱり嫌いだ。甲子園の優勝チームが全員転校してくるようなもんじゃないのか。

リアリティの無さで一番問題なのは、見ていて共感する気もなくしてくるっていうところだ思うんですよ。

そんな理不尽な保護者の前でいいパフォーマンスしたからって認めてくれんのかと、ドラマ上の興が削がれるてしまう。この世界で彼女たちがどう見られているかが想像できない。

アイドルの存在って、彼女たち自身の姿もそうだけど、それを見ている人の様子も大事だと思うんですよ。

『ボヘミアン・ラプソディ』でもそうだけど、一緒に見て感動している人の描写を丁寧にすることで、感動が2倍にも3倍にもなると思うんですよ。

ベッタベタな話だったら、ゲストのツキちゃんは、部活動などを怪我で挫折していて、Aquarsの6人のパフォーマンスをみて、もう一度走ることを決意するとか、勇気や感動が波及していくような話を作ってほしかった。

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コメント

  1. 匿名 より:

    検索から来ました。とても共感できます。
    見てる側が「そういうことか~」と感動すべきところ、直後に全部こうだと説明してしまうので白けてしまうんですよね。
    最後の曲も「心の中にいるんだな~」感をわざわざ描写されてしまい「ええ…」ってなりました。

    • よたろう より:

      コメントありがとうございます。
      悪い子じゃないんですけどね。
      いいところもあるのに、そこをやかましく強調するので印象が下がってしまうというか。
      悪い子じゃないんですけどね。

  2. 匿名 より:

    ツイッターから来ました。
    あの世界でのラブライブやスクールアイドルってどの程度の知名度なのか?
    多分制作側も明確に設定していないのではないかと。だってμ’sが所属してた音の木坂に通ってた梨子が何も知らなかったり、でもライブ会場はどこも常に満員だったり。あえて整合性を見出だすなら、野球やサッカーみたいにメジャーではなく晴海埠頭時代のコミケのように「知ってる奴は知ってるけど、知らない奴は何も知らない」とか?ただそれだとμ’sがアメリカに招待されたり、遠征から帰還した時にネットや秋葉原のみならず空港でも映像が流れてたのと矛盾しそうデスが。
    それにサンシャイン一期四話で花丸が見てた雑誌に「ラブライブ五周年」の記載があるから本屋で買った最新号なら前作から五年、もし図書室の蔵書だったりしたらそれ以上の年月が経過してるワケですけど…スクールアイドルを卒業してプロデビューしたA-RISEについて全く触れてないのも謎。第一回大会で優勝し第二回でも絶大な人気だったハズなのに、影も形もない。出身校のUTXも廃校説が出てるし、引退でもしたのか?リアルでは実際に英玲奈役の人が引退してるし。かと思えば、アキバレポーターなんてどーでもいーキャラが引き続き登場してる。
    どうせ行き当たりばったりで適当に作ってて、真面目にやる気も無いんだろうと思ってますw