『バーニー/みんなが愛した殺人者』
Bernie
IMDb 6.8
Rotten Tomatoes 89%
良
あらすじ:町中の人気者が人を殺した。
本作は実話である。
にもかかわらず、モキュメンタリーという不思議な構造だ。
事件後の町の人々のインタビューと、ことのあらましが交互に移される。アンビリバボーや仰天ニュースのような構成。
実在の人物を俳優が演じている(劇中では再現だという注釈はない)
町の人々も、俳優が演技してインタビューに答えている。
ホントのはなしをウソの人間たちがホントーをいつわって演技しているので混乱してくる。
エンドロールで本人が映るが、それ以外は、すべて演者だ。
『ファーゴ』『THE 4TH KIND』のような真っ赤なウソでもなく。
『ギター弾きの恋』のように架空の人物に現実味を出すためにドキュメンタリー風にしているわけでもない。
あかわらずリンクレイター監督は、挑戦的な作品を作る。
奇妙な手法に惑わされるように、殺人事件の印象が操られていくのが気持ち悪くて心地よい。そして、その向こうに見えてくるアメリカ南部の様子が興味深い。
いろいろと考察するのも楽しいし、実録ものとして下世話にみても十分面白い。
キャスティングのジャック・ブラックも不思議な味わいだ。いつものやりすぎ演技は封印し、およそジャックらしい表情はない。しかし、その普段のジャックを抑え込んでいるような印象が、バーニーそのものと重なって見える絶妙な演技だと思う。
↓ネタバレ感想↓
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誰にたいしても人当たりのいいバーニーは、葬儀屋の仕事である未亡人マージョリーと出会う。
彼女は夫を亡くし、会社や資産を相続した。とんでもない金持ちだが、性格に問題があり、町中の嫌われ者だ。
登場人物の人となりや、ゴシップなどが町の人々の口からインタビュー形式で語られる。
劇映画としては珍しくインタビュアーが映り込まないテレビ番組と同じ、延々とカメラに語りかけるスタイルだ。
リンクレイター監督は、この演出方法を選んだのは、町の人々の意見こそが主軸だと考えたからだろう。
事件の当事者二人を見て、それをどのようにテキサスの片田舎の人びと受け取ったか、それを描いている。
さまざまな人物が、口々に語ることは、バーニーは完璧、マージョリーは最低。細かな違いはあってもみな、同じことを言う。
そういった、人物の印象だけでなく。
地元民がかたる、テキサス論も後半重要な意味を持ってくる。
一口にテキサスといっても、大きな違いがある。農耕が盛んでも、アメリカ的か、メキシコ的かでも違いがあるし、教養のレベルも全く違う。
マージョリーはしだいにバーニーに心を開いていく、しかし、独占欲が強く嫉妬深いため関係は対等でなくなり、主従関係ができ、バーニーを奴隷のように扱う。
マージョリー役のシャーリー・マクレーンが素晴らしい。
偏屈な金持ちの老婆が次第に恋する乙女のような表情に変わり、そのまま嫉妬深い女の目に変わっていく様が見て取れるようだ。
特に、豆を噛み続ける表情は名状しがたいもので、バーニーの悪夢となるもの頷ける。
自分の時間も持てなくなったバーニーはマージョリーを射殺してしまう。
このくだりも素晴らしい。
幾重にもストレス要因を配置し、その一つにアルマジロを撃ち殺すように命令される場面がある。
その銃で彼女を背中から撃ってしまう。
しかも大口径ではないのか、乾いた銃声が淡々と続き、マージョリーの表情も一切見えず、パタリと倒れこむ。
バーニーが我に返って言った言葉は「大丈夫?」だった。
その後、遺体を冷凍庫の中に隠し、彼女が生きているかのようにふるまう。
結局、事件は発覚し、バーニーは逮捕、裁判にかけられる。
地方検事は終身刑を求刑するが、町の人びとは口々に無罪だという。
ここでもインタビューシーンがうまいこと機能している。町の人々が個人個人の意見としてバーニーをかばうので、一面正しいのではと思えてしまう。
町の人はバーニーは悪くないと口々に言う。
検事が4発撃ったんだぞと反論すると「でも5発じゃないでしょ」と意に介さない。
このまま陪審員裁判を行えば確実に無罪になってしまう。
そこで検事は、裁判所の変更を申し立て、それが許可される。
本来は、人種に偏りがあるなどの理由で、攻撃的陪審員ばかりになってしまうことを防ぐための制度だ。
今回は、擁護的陪審員ばかりになることを防ぐため、地元以外の裁判所で行われることが決定した。きわめて異例の理由、措置らしい。
そして有罪判決が下りる。
地方検事の戦略勝ちだ。バーニーの罪や犯行の内容ではなく、彼が、教養があってフランス語を理解でき、ファーストクラスに乗り、ワインに詳しいという話を取り上げる。
陪審員たちのリアクションは表情だけで見せていた。ぼうっとした目つきで、違う種類の人間だと確信するような目だ。
アル・ゴアが選挙の際に、フランス語が話せるインテリ野郎だとたたかれたことを想起させる。キリスト教原理主義において、知恵を持つことは悪魔の甘言に耳をかしてしまった罪なのだ。純粋無垢≒無知こそがよしとされる。
バーニーは収監され、エンドロールで、本人とジャック・ブラックが話している様子がうつされて終わる。
本作はかなりバーニー側に肩入れして作られているようにも見える。
しかし、ゲイ疑惑といった不透明なところや、過去に不明な点があること、浪費癖などの欠点についても挙げられていた。
マージョリーもシャーリー・マクレーンの魅力により、ただの嫌な老婆ではなく、さみしい憐れみを抱ける人物となっていた。
州が違えばお国が違うと言われていることは知っていたが、ひとつのテキサス州内でこのようなことが起きるとは非常に興味深い。
全体的に軽いタッチで描かれているので非常に見やすい。ラストは有罪で終わるのですこし気分が沈むが、それも映画に印象を操らているようで怖くもある。
アメリカを知る上で非常に興味深い作品だ。