『名探偵コナン 純黒の悪夢(ナイトメア)』
2016・日
静野孔文
IMDb 8.2
Filmarks 3.9
不可
あらすじ:潜入捜査官のリストが流出しそうっていうかしたっていうか。
劇場版コナンは子供だまし。そう思っていたけども、あまりの評判の高さと、知人の猛プッシュにより見てきました。お金は使いたくないのでユナイテッドシネマのポイント使用で。
ザックリと感想を。
子供向けにマジになってどうするのと言われそうですが、
子供なめんなよ!
脚本家が、子供相手だからと怠けてるとしか思えません。
ほぼお話は無いに等しく、整合性など一か所も取れていない。ノリで進んでいき、ノリで解決する。テンションしかない映画でした。
バカみたいなアクションは嫌いではないですが、ハリウッドだったらバカみたいなシチュエーションになってしまう理由付けがちゃんとされるはずです。
まあ、でも驚異の満足度96%(公式HPより)
話がない!どうせお前らは馴染みのキャラが出てれば話がなくてもいいんだろ?
本作は驚くほどに話がない。
正確にはコナンたち主人公側に目的ができるのが、映画開始から1時間以上経ってから。
そのころにはもう興味をなくしているので完全に心が死んでいる。
記憶喪失の女性に出会ったって自分探しの手伝いをするのはわかる。でもこの映画はその話じゃない。コナンたちの立ち回りとは全く関係なく記憶が戻るし、戻ったらアレしてるという虚しいにも程があるオチ。
潜入捜査官のリスト流出を防ぐ話でもない。流失してて絶妙に都合のいいメールの文面をいじって事なきを得る。相変わらずジン兄ちょろい。
終盤、爆弾が発見されるまでは、コナンになんの目標設定もされないまま映画は進む。終盤までひたすら退屈な場面ばかりで一体いつになったら話が始まるの不思議に思っているといつの間にか映画が終わっていた。 驚異の満足度96%
テンション高めの舞台立て。どうせお前らはリアリティなんて気にしなんだろ?
舞台となる遊園地に二重になった観覧車が登場する。
「東西それぞれのサークルから別々の景色が楽しめます」
反対の景色が見えないのは、二重にしたからだろうが!
そのせいで、それを紹介するニュースキャスターも遊園地にくる客もすべてが低能にみえる。本作を象徴する舞台だ。
すべての場面設定、人物の行動が、脚本家の思いつきをこなすためだけにある。そこに工夫や思考はない、それどころか知能もないかもしれない。
脚本家当人がどうかはさておき、本作では間違いなく働かせていない。劇中の、ハトをかわいがる博士なみの知能。 驚異の満足度96%
死後、オモチャにされる松田刑事。松田さん出しといたら喜ぶんだろ?
シリーズものとして、キャラクターに設定が後付されることは珍しくない。回想山盛りにして事実をねつ造していくのも長寿シリーズの止むを得ない要素だ。
しかしみんなの松田さんは残念ながらお亡くなりになっている。これ以上は彼自身に後付することできない。するとしても工夫が必要だ。しかし本作に工夫があるはずもない。とりあえず名前とイメージカットを紛れ込ませておけばファンは喜ぶと思っている。
うっすらとう浮かび上がる松田さんは完全にギャグマンガ日和。雑。 驚異の満足度96%
いつもの使い捨てゲスト。どうせ原作に組み込めないから退場してもらうってわかってるよね?
漆黒の追跡者でも、思わせぶりに出てきて散っていった奴がいた。
もちろん今回のゲストも本作限定だ。TVアニメのレギュラーで天海祐希のギャラが払えるわけ無いもんね。
それにしても本作の使い捨てはお涙頂戴として描かれているのに戦慄する。
記憶喪失でいい人になってアレして泣けるってことは、ロボトミー手術で人格が豹変したとしても、いい人っぽければ感動ってことだよね。別に彼女の本質を取り戻したとかじゃないし。驚異の満足度96%
まとめると
どうせひどいと思っていたら予想以上のひどさ。特に、話の目的のなさは耐えきれず途中で帰ろうかと思った。
破たんしたお話。リアリティのなさへの気遣いのなさ。子供を見下しているとしか思えない。昨今のディズニーが大人へも子供へも真剣勝負を挑んでいるのとは対照的だ。
バカっぽいアクションは、好きな人は好きかもだけど、アニメでやるとただの絵空事。
唯一気に入っているところは、シリーズお約束の、戦慄するほど寒カッコいいコナンのセリフくらい。
序盤のカーチェイスは見ごたえがあっていいとは思う。
アクションシーンは全体的に大仰で、いい意味でリアリティのなさがおもしろい。
だからといってお話のリアリティも大雑把でいいはずがない。
警察庁に、キュラソーが侵入。なにかの情報を盗み出し、車で逃走する。運転しながらメールで潜入捜査官のリストを送る。(でもシートベルトはするよ!)
それを追いかけるアムロ。カーチェイスが始まると、シャアもそれに合流。
シャアは何待ちだったのか。リアクション薄すぎて理解できない。
見張っていたら逃走に出くわしたわけではなく、完全にカーチェイスのなることが予知できているかのような立ち回り。
大仰でバカっぽいアクションはどんな映画にでもあるけど、それに至る必然性がまるでないのが本作の特徴だ。
カーチェイスの果てに、高架から海へ車ごと落下してしまうキュラソー。爆破に巻き込まれ、記憶を失ってしまう。
そして、息も絶え絶えになりながら港へ上がる。目の前には、自分が持っているカラーカードと同じ配色の観覧車が見えた。
オープニング。
「俺は高校生探偵……」(そんなものはない、なんてツッコミはもうできない)
全力のナレーションも、20本やってりゃこっちだって慣れる。
新しいのは、アムロとセーラームーンが潜入捜査官ですよ、と説明がついていた。
さすがにこれがなければ中盤のシーンが理解できなかったので非常に助かる。
でもセーラームーンが登場しなければ、アムロの正体がばれるかもってところに話を集約出来ていたと思う。
コナンと少年探偵団一行は、阿笠博士につれられ、水族館へ遊びに行っていた。
舞台を水族館に設定する意味はまったくありません。
本作の舞台となるのは水族館と遊園地のまざったような場所。
結局水族館であることには何の意味もないので、設定が練られていないことがよくわかる。先述の2重観覧車なんて、男二人が両側に立ってすれ違う画がほしかったからでしかない。そこに必然性はいらないのか。
遊園地に到着したコナンたちは、キュラソーと出会う。
公安に侵入した、組織の一員であるキュラソーが、 (たまたま) 交通事故で記憶喪失になったら、 (たまたま) 目の前に、記憶を呼び覚ます小道具と同じ配色の観覧車があって、その遊園地に行ったら、 (たまたま) 組織と因縁深いガキに出会った。
コナン一味とキュラソーが出会って、1時間は話が全く進まない。
観客はどうせ組織の人間だと思って見ているし、遊園地の中に知り合いがいなことは確信している。コナンたちが無駄なことをしているのを延々と見せられるわけだ。
この映画がいったい何を目的に動いているのか示されないまま時間が流れるので大変苦痛。
キュラソーは、記憶喪失状態だが、警察へ通報することは拒む。なにか事情があるようだ。
コナンは気持ちを汲み取り、通報はせず、遊園地の中で知り合いがいないか探すことにする。
まず通報でしょ。
交通事故の可能性があるなら通報しないと保険下りないかもしれないでしょ。このガキ頭脳も子供になっちまったのか。しかも警察はだめだっていう奴はなおのこと通報でしょ。犯罪のにおいしかしないじゃない。
まだ、小五郎がこの場にいて一目惚れしたから通報しないってほうが理にかなってる。
しかも、このガキ(高校生)通報しないって言っておきながら、蘭(空気)にメールを送って通報を促してやがる。
オレじゃなくて知り合いが通報したとでも言いたいのか。
いつの間にか、いつもの警察チームに情報が回ってるし、遊園地の中でのやり取りはまったくいらないだろ。
灰原は、 キュラソーがオッドアイなのと身体能力が高いのを見て、組織の人間ではないかと疑念を持つ。
情報少ないのに勘がいいよね。脚本家と打ち合わせでもしたんだろうか。
組織の幹部であるラムは片目が義眼だ。性別も不明。キュラソーのことをラムではないかと勘違いする。
テレビシリーズを見てないのでラムちゃんの設定は知らないけど、キュラソーのことはよくわかった。ミスリードのためだけにオッドアイ設定を頂戴した哀れな使い捨てゲストキャラだ。
コナンと灰原が(見当違いな)キュラソーの正体について話し合っていると、キュラソーと少年探偵団の姿がない。
子守の御茶ノ水博士は、ハトに夢中で子供たちを見失っていたのだ。
ハトがかわいかったから。
こいつ、子守失格っていうか、人間失格だろ。発明のしすぎで脳がやられてるんじゃないか。
キュラソーと少年探偵団はいつの間にか、観覧車に乗っている。するとキュラソーは気絶してしまう。
キュラソーは医務室に運ばれ、警察病院へ連れて行かれる。
遊園地の備わっている医務室は最先端で、客のMRIが撮れる設備がある。(なんの違和感もない)
茂木健一郎も常駐しているため、特殊な脳の構造について詳しく解説が聞けるのだ。 (なんの違和感もない。 さすが医療大国日本 )
観客の違和感をまるで想定していないあたりに、脚本家のやる気のなさ、配慮のなさが伺える。
一方そのころ、お笑い集団、黒の劇団はというと。
組織は、キュラソーが記憶を失う前に送ったメールを頼りに、世界各地で潜入捜査官と思しき人物を抹殺していく。
この連中は本当に目立ちたがりで、なんの理由もなく観光名所トロントCNタワーの上にいる標的を狙撃して血まみれの死体を放置している。二階建てバスとか観光地を抑える義務でもあるのか?
暗殺という言葉をしらないのかよ!
この無能集団は事故死とか病死に見せかけるという発想はない。
無能の代名詞、ジン兄貴はというとロンドンで標的を追い詰めている。
一緒にいるウォッカの口ぶりでは情報を吐かせるため拷問でもするらしい。
そんなことはお構いなしに裏切者かどうかの真偽を確かめず射殺するジン兄貴。さすがのウォッカも、なにやってんだこいつって顔してたよ。
無能を通り越して、もう何がしたいかわからない。
その後、当然のように日本に集まる黒のお笑い集団。
ようやく話が動き出したような感じがする。
コナン君はFBIの大人たちから極秘情報を聞き出したり、
(テレビシリーズを見てないと、このガキは米国機関とどんな関係かはわからない)
キュラソーの携帯電話からメールを復元して、成りすましで訂正メールを送ったり、
(絶妙に都合のいい文面)
キュラソーが警察病院に送られると、公安所属のカミーユが現れる。警察庁侵入の捜査のためキュラソーの身柄は公安に引き渡される。
いつもの警察チームを間に挟む意味はない。遊園地に公安が来て、そのまま観覧車に乗っていればよかったのに。
この場面で、キュラソーが崩れたオセロの盤面を簡単に直してしまうという描写がある。
いかにもな記憶力すげぇ描写だけど、まだ記憶を喪失しているのに記憶力が高いというのはどういうことか混乱してくる。
それっぽいシーンを何も考えずに放り込んだことがよくわかる。
公安は、キュラソーの記憶を呼び覚ますため、観覧車へのせることにする。
東急ハンズで色見本買ってきた方が早いんじゃねぇかな。
ジンは、潜入捜査官のリストにあったアムロとセーラームーンをいたぶって情報を引き出そうとする。
ロンドンでは即射殺だったのにね。
この場面、
ジン先生は「疑わしきは罰する」と啖呵を切っていたが。
そのもとの言葉って、“刑罰の決定”に疑わしき要素があるときにつかう言葉で、疑わしいってのは“嫌疑”のことじゃないよね。このことばずかいゎすごぃあたまわるそぅ。
そんなジン先生もコナンが送ってきた偽メールにあっさり騙される。
キュラソーが遊園地に連れて行かれたことをしり、路線変更。こうなることは予想通りだそうだ。
ジンの頭の中では次の思考が走ったのだろう。
「キュラソーに何か起こって記憶喪失になり、
記憶を呼び覚ます触媒となるカラーカードは失くしてしまっているだろうから、
公安が同じよな彩りをした新しい遊園地に連れていって観覧車に乗せるに違いないから、
オスプレイでの回収に手間取ったときのことを想定して爆弾を仕掛けておこう!」
慧眼というよりサイキック、いやむしろ現実をゆがめる能力さえあるようである。
そのくせほかの部分では無能街道まっしぐらなのはなぜなのか。
キュラソーが観覧車に乗せられているとき、
誤って少年探偵団も反対側の観覧車に乗ってしまう。
小五郎と蘭と園子が見切れる程度に登場。雑。
コネを発揮するだけの園子登場シーンは作画が崩壊しておりホームベースみたいな顔のご令嬢となっている。50億稼ぐ映画の絵ではない。
作画崩壊画像としてはヤシガニと並び立つレベル。
コナンが到着したころには、観覧車は上を目指して回っている。
内部に入ってみると、観覧車の鉄骨部に大量の爆弾が仕掛けられていた。
ようやくだ!ようやくコナンに目的が生まれた。
今回はいつもの「犯人は誰だ?」みたいなミステリー要素はないと思っていたけど、
「この映画は何が目的なんだ?」という巨大な謎が配されていたのだ!
ようやく話が始まったよ。
でも完全に興味を失ってるよ。
にしてもジン先生、用意周到すぎて、いつごろから爆弾設置してたのか、公安がここにつれてこなければどうしていたのか、疑問しかわかない。唯一整合性が保てる回答は、ジン先生は未来が予知できる、それ以外ない。
オスプレイ(っぽいの)で観覧車に向かう。黒の劇団。
その頃、観覧車の上に乗っかり、よくわからない理屈で殴り合うアムロとシャア。
とても、かっこうのいいふたりが、とてもきれのいいうごきで、なぐりあう。無意味に。
そこに意義が込められてないので気持ちは上がらない。実際、シャアはやめときましょって言ってるし。そんで中途半端にやめるし。
コナンの一声で殴り合いをやめて協力するアムロとシャア。
アムロは起爆装置を解体し、シャアはオスプレイを撃ち落す。
アムロさんの後付設定で、みんな大好き松田刑事(のおもひで)が登場。
本当に登場するだけ、必要性がない。松田の助言を思い出して難を脱するわけではない。
「焦りは禁物」なんて、何も言ってない「塩はしょっぱい」くらいに当然のことしか言ってない。
アムロが唐突な自分語りをしてそこに松田刑事を入れ込んでいるだけだ。
しかもコナンとしては、誰だそいつって話だからよけいに、観客をなめてるとしか思えない。
必要性があってドラマを盛り立てていたら何の文句もないけど、ここまで下品な登場の仕方はないだろう。故人に対するリスペクトがない。
キュラソーの乗るゴンドラは頂点まで来た。イルミネーションが光、記憶を取り戻す。でもあんまりいい思い出ないので組織の戻るのはやめにする。
「前の自分より今の自分の方が気分がいい。ただそれだけよ」
すげぇ!何も言ってねぇ!
命がけで尽くしてきた組織からの脱退理由はフィーリング。
そもそもここの改心を感動的にする要因は何一つない。
本来は、記憶があるときのキュラソーの性格描写が必須なのに一切ない。
悪い人間だった場合は改心してもロボトミー手術みたいに人格が再構成されてて気持ちが悪いし、
良い人間が葛藤しながら組織に尽くしていたとしたら成り立つけど、そんな描写はない。
いい話っぽいからって、こんなので感動するなら、いい話ってかいた掛け軸でも眺めてろよって思う。
ジンはオスプレイのアームを操作して、キュラソーの乗るゴンドラを回収する。
雑の極致。カット替わりで現実をゆがめるせこい演出。
UFOキャッチャーの要領でキュラソーが乗ったゴンドラを上に持ち上げようとする。
ゴンドラは観覧車の丸い骨組みの内側についている。 構造上不可能だ。持ち上げようとしても鉄骨二本に覆われているので、観覧車ごと持ち上げるか、鉄骨を切断しないと分離できない。
そう思っていると、カットが変わって、鉄骨がねじ切れていた。アームの強さが尋常ではない。
回収したゴンドラにキュラソーが乗っていない。ジン先生はお怒りで、観覧車を銃撃。
明かりまで落として潜んでいた意味はない。さすが無能の代名詞。
シャアの狙撃でオスプレイを操舵不能に追い込む。
ジン先生悪あがきで観覧車をさらに銃撃。そのまま退場。
車軸が壊れて、転がりだす観覧車。
中に取り残された少年探偵団を助けるため、コナンとシャアが奔走する。
何とか速度は落ちるが、止めることができない。
コナンくんがひみつ道具を駆使して、観覧車を止めようとする。
ドラえもん映画でだって、クライマックスでキーになる道具は、たとえ有名なものでも序盤で使用して印象づけてるのに、本作は一切配慮がない。それならなんだっていいじゃないか。
もうどの映画のどのタイミングでだって、キッドとか平次とかが前振りなくても怒れないよね。これで満足する人が大多数なんだから。
すると先に脱出していたキュラソーが工事用クレーンを衝突させ、観覧車は止まった。
工事中区画があるという前振りはあるものの、クレーンを見せるとか気が利くことはしていない。
少年探偵団は無事、ついでみたいにピンチだった蘭も無事。
キュラソーは、観覧車に押しつぶされてしまった。自分の命と引き換えに、子どもたちを守ったのだ。
ああ泣けるね!まぢ感動した!
自分の人格が書き換わってしまうシチュエーションって身の毛もよだつほど気持ちが悪いと思ってるんだけど、今回それで“いい人”になったらそっちの方がいいって終わり方だね。
今まで生きてきたキュラソーの人生、存在意義は何の意味もなかった。むなしくて泣けるってことか。
もちろん、いい人になりたかったっていうなら話は別だよ。でもそんな描写ないし。
そして最後は、いつもの怖気が走るほどかっこいいコナン君のセリフで幕を下ろす。
「記憶じゃなくて、思い出だよ」
別に格好つけるのはいいけど、その前振りとして、カミーユがつぶれた人形を記憶媒体と間違えるってのが入るが、誰しもが思ったろう。
そうは見えない。
記憶媒体には見えない。見えるはずがない。公安のエリートとは思えない低能。
もともと粗の多いシリーズだけど、今回は、話の導入に時間がかかりすぎなため、シリーズ最高の退屈を味わう。
爆弾が見つかってからは、なんとか話の方向性が見えたけど、そのころには興味を失っていたので、とんでもアクションを堪能する心は残っていなかった。
脚本家は、手抜きをしているか、もしくは奇跡的無能のどちらかだ。
こんな電波なお話を見るのに金を使うとか信じられない。
映画とは思えない作画のシーンがちらほらあったし、とても60億円稼ぐクオリティではない。
金を使わずに見ることができてほんとうによかった。映画館のポイントは失くなったけど。でも思い出は残った。まさに悪夢。
にしてもだ、秘密の組織としては、顔にタトゥーがあるやつなんて仲間にしなほうがいいよ。
コメント
見るな!駄作と思ってたのに何故見た?
激しく同意はするけどね。
こちらは2週続けてのテレビを視聴。
前週のチャンバラ映画が酷過ぎたが一応見た。
駄作と思ってたけど見たw
チャンバラよりマシ。感想は以上。
私が言いたいことを全て言ってくれた!と感じました。
私は先週の金曜ロードショーで初めて本作を見たのですが酷すぎて怒りがこみ上げてきました。
こんな駄作がコナン映画史上No. 1ヒットかつ、誉めている人がいることが信じられません。
製作陣のテキトーに作っている姿勢がとても不愉快でした。
長文失礼しました。
褒めてる人が多いので、共感していただけると、自分が正気だと安心します。TVシリーズにどっぷりハマっていないと楽しめなのかもしれませんが、クオリティの低さは門外漢でも断言できるレベルだと思います。野次を飛ばしながらでない見るのがちょうどいいのではないでしょうか。
あまりにも意味不明な糞映画だったので「コナン 漆黒の悪夢 ひどい」で検索してここにたどり着きました。
最後のサッカーボールは必見です!
私も同じ検索でここに来ました
なんとなくですが…
映画の批評というよりかは、ただコナン映画が嫌いなだけな感想として受け取ってしまいそうな文面ではあると思います。
私も今作は推理らしい推理もなく、どちらかというとアクションという印象で少し残念でした。
細かい部分は取って付けたような設定、各キャラの改悪など…
そういった面では評価はできませんし、他の作品ありきの映画だと思います。
ただ、感想を読ませて頂いたところ
架空のキャラクターのアンチスレを見てるような錯覚に陥りました。(あくまで私個人としてはなので、当然見る人によって違いはある。)
良かった所を挙げている点も、ただ形式としてあげてるような…
本当は具体的にこの文が~と挙げた方が良いとは思うのですが、全体として、全体ありきでの私の見解なので、一部の抜粋をするにもどうしたらいいか私自身も少し悩みます。
私も今作よりかは過去の名作の方が好きなので、概ね同意できる点はあります。
しかし、どうしても文全体から読み取れるのはただの嫌悪という印象を抱いてしまいます。
もしそんなつもりはなく、ただの批評をしたいのでしたら、次に書くであろう感想は少し時間を置きながら書いた方が良いと思います。
まぁ、勢いに身を任せて連ねるのが私のやり方!と考えるなら、それはそれで良いと思います。
着眼点等は悪いとは思わないので、感情を少し抑えるだけで、とても読みやすい文になると思います。
次の感想を楽しみにしています。
感想ありがとうございます。
お察しの通り、勢いに任せて書いた文章なので、不用意に語気が荒い気もします。
ただ嫌悪という意味では、誤解はないと思います。とは言え読みやすい文章が書けるようになりたいとも考えていますので、できる範囲で心がけていきたいと思います。
コナン映画にそういうツッコミはただただ無粋だと思います。
そもそも、リアリティを求めて見る作品ではないです。
キュラソーの最後のシーンは、私には感動しない人が理解できないくらい泣きました。
私は大人ですが、この作品は好きですね。
そういう人間はバカだと言いたいんでしょうね。
申し訳ない(´・ω・`)
バカだと言いたい、じゃあなくて実際バカなんですよ。
物語はリアリティはなくても、整合性はなくてはなりません。そこを履き違えているあなたがまさか大人だなんて、この国も堕ちたものですね。
私は長年劇場版コナンを観ていますが、あなたのような人間が満足度調査のパーセンテージや興行収入を上げていると思うと残念でなりません。だって、過去の名作達が後出のゴミに負けて埋もれてしまうんですもの。
賛同しかない。
近年のコナンの評価の高さに納得がいかない。
結局好きなキャラクターが大立ち回りしていれば満足なんだろうよ。そんなだから足元見られて作品の質自体も低い視聴者をなめたような内容の映画が量産されるんだよ。
懐古厨だと言われようが、昔のコナン映画は面白かった。
あれれ、おじさん歳いくつ?
ボクこれ中学生が書いたのかと思ったよ。
申し訳ない(´・ω・`)
今の監督に変わってからアクション重視が行き過ぎて物語軽視になってますね
年々アクションは派手になりますが物語の作りが安っぽくなっているような気がします
記事に対して全部同意というわけではありませんが 近年の物語上の意味のないアクションゴリ押しはもうお腹いっぱいです
映画だから派手なシーンが増えること自体は理解できますが 派手なだけで作品自体が薄っぺらくなってしまうのは残念です
あの馬鹿げたアクションも嫌いではないけどね
2年に1度でもいいから真面目に作って欲しい
驚異の満足度96%側の人間として、一応見出しごとに、反論というものを書いておきますね。
○話がない!どうせお前らは馴染みのキャラが出てれば話がなくてもいいんだろ?
冒頭に相当な事件とアクションが起きているので、コナンの日常に何も起きていなくても、その対比だけで座っている観客(自分)には画面を飽きずに観ていられました。コナンに目標設定はされていなくても、座っている観客(自分)には、コナンが真実に辿り着くというゴールが見えているので退屈したというのが、驚きでした。
○テンション高めの舞台立て。どうせお前らはリアリティなんて気にしなんだろ?
これに関しては理屈としてはその通りなんですよ。実際に自分が乗るわけでもない観覧車ですから
正直スルーできました。まあ、実際にコナンが乗って、うわ凄いなあとか言ってたら話は変わりますが、結局コナン自身は景色目当てで観覧車に乗る事はないですから。アニメだったら、現実にありえないものを描いて、観覧車という舞台をキャラのように立たせるというのは、手法としては全然ありだと思っています。僕には、この設定で怒るのが、ラピュタでバルスって言葉をシータがパズーに伝える手段がないだろ(言葉を口にしたとたん発動するため)って怒っているぐらい不思議でした。
○死後、オモチャにされる松田刑事。松田さん出しといたら喜ぶんだろ?
すいません。シリーズ観てないんでここはパスで(僕が、松田刑事が誰なのかすらわかっていない)。
○いつもの使い捨てゲスト。どうせ原作に組み込めないから退場してもらうってわかってるよね?
記憶喪失でいい人になったんじゃなくて、彼女は記憶を取り戻しています。その上で、彼女はいい人になる事を選択したんです。問題は、生きて退場するのか、死という退場なのかです。
以下見出しながないため太字になっている所に反論しときます。
○舞台を水族館に設定する意味はまったくありません。
まあそれは子供が行きたい場所(あと人が集まる場所)ってことだろうなあ、と反論に困っていたら、『男二人が両側に立ってすれ違う画がほしかったからでしかない。そこに必然性はいらないのか。』と書いてあって、その画が欲しいって言う(演出上の)必然性があるじゃんと思いました。そこじゃなくて、こっちの方がいいという思いがあるなら批判も分かるんですけど、ストーリーの矛盾があるならまだしも、必然性がないことってそこまで気になりますか? まあなっているから書いてあるのか。そうか。すいません。
○ハトがかわいかったから。
これは子供たちがコナンに内緒で逃げるって所だから、博士はよそ見さえしてたらなんでもいいんですよ。ここでは、博士このバカって思っていいんです。
○暗殺という言葉をしらないのかよ!
まあ暗殺は(アニメとしては)地味だし、というのはストーリーとしての意見ではないので、別の言い方をします。黒の組織側としては一刻も早く殺さなきゃいけないんですよ、スパイを。それも1人殺せば、スパイが誰なのか黒の組織が把握したということがわかるってしまうため、なるべく同時に。黒の組織側としても、スパイの情報を掴んだのが誰かというのが分かったと思われたら、スパイが逃げてしまいますから。
○「キュラソーに何か起こって記憶喪失になり、
記憶を呼び覚ます触媒となるカラーカードは失くしてしまっているだろうから、
公安が同じよな彩りをした新しい遊園地に連れていって観覧車に乗せるに違いないから、
オスプレイでの回収に手間取ったときのことを想定して爆弾を仕掛けておこう!」
まあ、これはジンがどこまで本当に考えていたのかは不明だと思います(基本的に兄を考えているのかが読めない人物ですし)。単純にオスプレイを試したかっただけとも取れますし、爆弾を仕掛けた理由は確かにわからないですね。初めて気づきました。
○脱退理由はフィーリング。
この映画のストーリー自体は、組織同士の対立の話なんですよね。公安はCIAともめてるし、警察とももめている(黒の組織ですら、1枚看板でないことも示される)。その組織の対立が、協力に変わっていくストーリーの映画なんです。
その中で、何の疑問も抱かず黒の組織で働いていた人間が、組織というものにはいっていない人間、すなわち子供との交流を得る事で、組織を抜けるという話なんです。(ちなみに、だから、あの遊園地の上の殴り合いを止めるのは組織に入っていない子供であるコナンしかできないのです。)フィーリングといえばフィーリングですが、そこにリスクがわかっていてのフィーリングでありその決断は軽くはないと思います。
あと人を避難させる時に、目暮警部が煮え湯を飲まされ続けてきた公安にちゃんと協力するんです。あの人だけちゃんと大人!
○「記憶じゃなくて、思い出だよ」
黒こげでつぶれた人形、それがいったい何なのかわからないが重要なんです。スパイが肌身離さず身につけていた→ひょっとして記憶媒体? となるなか、観客とコナンしかそれがなんなのか分からないというのが泣けるポイント(嫌な言葉ですね)だと思います。
なんかストーリー(脚本)がおかしいだろって意見に、演出(映画)として合ってるという反論が多くなりましたね。
以上、驚異の満足度96%意見でした。数字はともかくとして、この映画を楽しかったと人間も間違ってはいるわけではない、ということだけ記してきたかったので、長文になりました。申し訳ありません。
申し訳ない(´・ω・`)
この映画はあまりにも酷い内容で悲しく、いちいち理屈づけしてコメントするのも虚しく、過去の作品でしたのでどなたか代弁してくださってる方はいないかと思い、ここへたどり着きました。簡単に評価を検索すると、とても良い評価ばかりでさらに悲しくなっていましたが、おかげさまで安心できました。感謝申し上げます。
ありがとうございます。
こちらこそ、圧倒的マイノリティの同士に出会えて嬉しく思います。
拝読しました。今年も既に11月ですが、今年一番の大笑いしました。
ありがとうございます。